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京王閣競輪

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決勝戦レポート

新田祐大(福島・90期)

新田祐大がダービー王に

 8度目のダービー参戦で悲願のシリーズ制のG1初タイトル、そしてダービー王の称号を手にした。
 確定で『1着3番』と放送が流れた瞬間、検車場に「ヨッシャー!!」という声がこだました。
 「ゴールしてスーパースローを見て自分じゃないかなとは思ったんですけど、走っているときは浅井さんが伸びてる感じがして。敢闘門に帰ってきて先輩から『優勝だろう』と言われて、確定が出て分かりました」
 武田豊樹、平原康多のS班コンビに、浅井康太、金子貴志の最強中部タッグ。天才・井上昌己に怒涛の勢いで勝ち進んできた原田研太朗と、輪界の頂点を極めるのにふさわしいメンバーが勝ち上がった決勝戦。原田が逃げる中、武田が3番手から番手まくりの井上を乗り越え、関東勢に絶好の展開。その中でも新田祐大は冷静さを失っていなかった。最終バックからまくり上げると、浅井もコースを縫って突っ込んでくる。ゴール前は新田、平原、浅井の3車並んでのゴールになったが、混戦を制したのは新田だった。
 「車番的にも外側になるなと思ってたので武田さん、平原さんのラインに注目して、浅井さんとも今年勝ち上がる中で、地区は違うんですけど2日間、3日間と一緒になることが多くて。そして原田君も絶好調で勝ちあがってきて、そうしたメンバーの中で自分に勝ちやすい展開に持っていけました」
 G1の決勝で2着が3度と惜しいレースが続いていた。特に13年の今開催と同じ京王閣で行われたオールスターでは、ゴール寸前で後閑信一にまくられスルリと優勝が逃げていった。
 「G1の決勝には何回も乗っていて、最初は(08年の)寬仁親王牌。最初は先輩を引き立てる役目で。なかなか届きそうで届かないG1の優勝。(オールスターでは)あの頃は自分に足りないものがあった。勢いだけで行っていた」
 さまざまな人の助けもあってつかんだ今回のダービータイトル。
 「走る前からこのレースに賭けていた思いが強かった。直前まで、入る前までケアをしてもらって。精神的にもフォローをしてもらった。たくさんの気持ち、感謝の気持ちがある」
 16年リオデジャネイロ五輪、更にその先2020年東京五輪を目指し、競技生活との両立を続ける。
 「オリンピックを走るために競輪選手になった。でもそんな気持ちじゃ日本の競輪でも国際の競技でも通用しない。ロンドンオリンピックが終わって日本の競輪にも真摯にやっていこうと思った。東京オリンピックは選考が出てないので、リオデジャネイロオリンピックは選考を満たすまでにどうやっていけばいいのか。渡邉一成選手、中川誠一郎選手、脇本(雄太)選手に今回は来てないけど、河端(朋之)選手、雨谷(一樹)選手といて、そこの舞台に競輪に集中して立っていなかった。まずは日本の競輪で1着になる。そこがリオデジャネイロオリンピックの舞台に立つ第一歩。リオデジャネイロオリンピックに向けて、もっと競技に出て、1年3カ月あるので日本の競輪が世界に通用するところを見せたい」
 2011年3月11日。多くの犠牲者に加え、4年経った今でも多くの住民がいまだに避難生活を余儀なくされるなど、未曾有の被害をもたらした大震災が日本を襲った。
 「東日本大震災、2011年3月11日。そのとき東京で世界選手権のための合宿を行ってて、オランダに行っても結果はボロボロで。そのままオリンピックを目指していいのかと。そんな中、福島の被災者の方にオリンピック出てるのが励みになると言われた。ロンドンオリンピックに出たけどそこがゴールじゃない。ロンドンオリンピックが終わって被災地のいわきに行った時、子供たちに声援を受けて勇気にもなり、力にもなり次の目標を感じた」
 全日本選抜での山崎芳仁が優勝したのに続いて北日本にタイトルがもたらされた。
 「福島の2人でもっともっと強い選手を引き出したい。福島、北日本が自転車で強いことをアピールしていきたい」と語った新田。今後のG1でも北日本旋風を巻き起こし続ける。
 「悔しいけど出直します。武田さんが完璧なレースをやったのに自分が弱かった。(前に踏む)タイミングは難しかったけどそれは言い訳。完全に伸び負けです」と、惜しくも微差で2着に敗れた平原康多は悔しさを隠さなかった。
 全日本選抜に続き浅井康太は僅差の3着となった。
 「頑張った、これが精一杯の良いレースだったと思います。大槻(寛徳)さんが離れたのが見えて。外じゃ間に合わないと思い内へ行きました。8番手で動かなかったのは自信があったから。全日本選抜から少し変えてまた少し埋まった部分もあると思うしあとちょっと。その差をまた帰ってから埋められるように頑張ります。精一杯いけるところまでいけたと思う。十分やった。玉野(記念)で怪我したと思えば、ここまで調子を上げられたと思う」
 飯嶋則之もゴール前伸びるが4着。
 「いっぱいでした。コースも自分のコースだったけど。精神面も非常に良い状態だったんですけど、脚が伴ってなかったです」
 武田豊樹は3番手から前団をまくり切るも末を欠いて6着。
 「まくり切ったけど残れなかった。ラインから優勝を出せれば一番良かったけど、力は出し切れたので悔いはないですね」

  • 優勝者の写真です
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レース経過

 金子貴志がS取りを制し、浅井康太を迎え入れる。以下隊列は武田豊樹―平原康多―飯嶋則之、新田祐大―大槻寛徳、原田研太朗―井上昌己で周回を重ねる。
 青板の2センターから原田が上昇すると、武田が合わせて動き誘導を切る。その上を原田が叩いて赤板の2コーナーからレースを掌握する。武田は三番手を確保。新田は原田ラインを追ったが口の空いた武田ライン後位に付け六番手、浅井は八番手で隊列は一本棒に。原田は別線を警戒しながら駆けていたが、打鐘の2センターからギアをトップに入れる。武田は最終ホームで後方を確認すると、満を持して1センターから反撃を開始する。しかし、すかさず井上が武田をブロックすると、そのまま番手から発進し力勝負に。軍配は武田に上がるが、今度はバック前から仕掛けた新田が襲いかかる。平原のけん制で勢いは止まりかけた新田だが、懸命に踏み続ける。平原も返す刀でタテに踏み、さらに外から浅井も強襲してゴール前は大接戦となったが、新田が微差でまくり切った。平原は新田に屈して2着。浅井も平原とタイヤ差で3着まで。武田はゴール前で失速し6着に終わった。

車番 選手名 府県 期別 級班 着差 上り 決まり手 H/B
1 3 新田 祐大 福島 90期 S1 11.7 まくり
2 9 平原 康多 埼玉 87期 SS S 11.8 追込み
3 5 浅井 康太 三重 90期 SS T 11.4
4 4 飯嶋 則之 栃木 81期 S1 1W 11.7
5 2 金子 貴志 愛知 75期 S1 T 11.3
6 1 武田 豊樹 茨城 88期 SS 1/4W 12 B
7 6 大槻 寛徳 宮城 85期 S1 3B 11.9
8 7 井上 昌己 長崎 86期 S1 3B 12.5
9 8 原田 研太朗 徳島 98期 S1 D 14.8 H